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東日本大震災の被災地を訪れて―後半―

 名振の仮設住宅の奥様方の暖かいおもてなしと地元の新鮮な食材を使った朝食に満腹感を味わった後、お別れの気持ちを持って名振の港へ降りていきました。何にも無くなってしまった浜辺の堤防に立ってリアス式海岸を眺めていると、先程聞いた津波の恐ろしさと被害にあった人々の人間模様が脳裏に浮かんできましたが、それが、ここで起こったのか信じられない程、まわりは穏やかな海辺のひと時でした。

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 南三陸町に向かってレンタカーを走らせていると、正面に巨大な土壌洗浄プラントが現れました。一向に進んでいないと言われていた災害時の廃棄物の処理を行う施設で、走っている道の側にいくつか見られ、やっと前に向かっているなぁと思いました。ただ、広大な土地に瓦礫の山は殺風景で、動物の死骸のよbosaityosyaう・・・。道路横は津波により崩れ落ちて、山肌が露出したまま。道を進んでいくと、幾度と無くテレビ放映され、記憶に刻まれている南三陸町防災対策庁舎が鉄筋むき出しの被災したままの姿で現れてきました。何にも無い所にポツンとあるので遠くからでもすぐわかります。鉄の骨組みが津波の力によって、同じ方向に曲がっていました。津波の力は強い。この圧力と闘って、押し流され命をおとした人々の姿を想像すると、なんとも言えない悲しみが襲ってきました。ここにも悲しみの千羽鶴が捧げられていました。

 

 

 この防災対策庁舎をすぎるとすぐに何かイベントをやっているような賑やかな人だかりが目に入ってきました。入り口の「南三陸さんさん商店街」「ようこそ南三陸へ」と書かれた看板をくぐると買い物客や、sansan威勢のいい音楽とともに掛け声すさまじく活発な雰囲気満さい。震災で店を失ってしまったいくつもの業種の商店主が集まって仮設の商店集団を組織し、ここだけは元気いっぱい。笑顔いっぱい。被災地を勇気づけるための、ミニコンサートも開催していて、沖縄からきた歌手のすばらしい歌声とともに、時折話す悲惨な出来事には涙する姿も。

 

 気仙沼に入ると「陸中海岸国立公園」があり、強い波と風によって侵食された岩間から潮が噴出す様子を驚きながら見ていました。ふと傍らの神社に目を向けると、なんと㊎マークの「琴平神社」。境内にある石碑には琴陵宮司の名前が刻まれていて「こんぴらさん」にここでお会いできるとは・・・。そうこうしているうちに今夜宿泊するホテルに到着しました。このホテルは高台にあり、震災時には避難場所として多くの命を助けたそうです。

 この日は楽しみにしていた我が町の産んだバス・バリトン歌手の村山岳さんと食事をする約束です。待ち合わせの店は「居酒屋ピンポン」。ホテルで道順を聞いた時も予約してなければ入れないと言うほどの有名な店。港沿いに歩き、賑やかな声と音楽で溢れていた「復興屋台村気仙沼横丁」を横目にやはり復興した商店街に入り、玄関で村山岳さんと合流して「居酒屋ピンポン」に入りました。

 地元のおいしい酒と海鮮料理、特にモウカ鮫の肝、マグロの心臓の弁等、食べたことの無いめずらしい料理に舌鼓を打ちながら、夜が更けるのも忘れて酔いしれていました。大将をはじめ店の人たちもとても気さくですぐ打ち解けて冗談を交わしながら時間が過ぎてしまいました。気が付いたら閉店時間を大きくオーバーしていました。開店からいたのでなんと5時間以上居座っていたことになります。なるほど評判のいいはずだと思いましたが、周りの席は入れ替わり立ち代りで満席状態でしたので、閉店まで席を占拠してしまって大将には本当に申し訳ないと思いましたが、店の人たちはそんなこと一切気にせず、みんなで写真を撮ったり、喋ったりとても楽しい思い出深い気仙沼の夜となりました。

 

matu 翌朝、行く手に無造作に打ち上げられたままの大型船を目にしながら、こんなところまで・・・。感無量。そして陸前高田市へ足を伸ばしました。「奇跡の一本松」のレプリカを神妙な気持ちで眺めました。傍らでサイダーやお菓子を売っているおじさんが震災の前と後の写真を見せながら自然の脅威を話してくれました。大きなため息をつきながら、もう一度後ろを振り返って帰路につくため一関市へと向かいました。 sakura

 

 東北地方は桜が満開。一ヶ月程の季節のずれを感じながら東北での出来事をかみ締め、新幹線に乗り込みました。

  様々な感慨を抱き、いい経験をさせてもらったすばらしい2泊3日の旅でした。私たちにとって、決して対岸の火事ではない東日本大震災を教訓として、巨大な震災が襲ってくる可能性の高い、我が町の防災対策と行政の役割を教えられた有意義な旅でした。

 

                                                  多度津町長  丸尾 幸雄


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