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たどつ や~い 多度津町 TADOTSU TOWN

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町文化財の説明

■国指定
1.絹本著色星曼荼羅図

 星曼荼羅とは平安時代から天変地異や疫病などの災いを払うために行われた星の供養をする時に使用されたものです。北極星や北斗七星などを表した図象となっており、88箇所の77番霊場道隆寺所蔵の星曼荼羅は鎌倉時代に描かれたものとされています。道隆寺境内の妙見社で毎年3月7日と8日に星供養が行われてきています。

 

2.天霧城
  弥谷山から天霧山の尾根に沿って南北朝時代から戦国時代にかけて作られた山城。讃岐の守護であった細川氏に従ってきた香川氏の戦時下の詰城として利用されました。四国の中世山城を代表するもののひとつです。段階的連郭直線形式あるいは梯郭式といった複数の郭が尾根に沿って折り重なって連なる縄張をしています。

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■県指定
1.南鴨念仏踊

  雨乞いの念仏踊。南鴨地区にある賀茂(加茂)神社で行われます。起源は道隆寺の理源大師が菅原道真に降雨の祈祷を請われ祈念した結果雨が降り、鴨村の百姓が喜びのために踊り始めたのが、その起こりとされています。当初は綾川町にある滝宮神社まで赴いて踊りを納めていました。「なむあみどうや」や「なっぱいどうや」などの念仏を唱えながら踊ります。

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2.大般若波羅蜜多経
  南鴨地区にある賀茂(加茂)神社に収められている600巻からなる経典。鎌倉時代に書かれたものとされています。本来は寺院に収められ、転読(経典を回し詠みすること)されるものでしたが、神社では無病息災を願って、大般若経を長持ちに入れ、それを担いで「大般若経じゃ、六百巻じゃ」と掛け声を上げて町を練り歩く「大般若経巡行」という神事に使われています。

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3.絹本著色西谷藤兵衛肖像
  天霧城主香川氏の支族であり、今の三豊市豊中町岡本にある谷城領主であった西谷藤兵衛の肖像が描かれています。

 

4.佐柳島長崎の埋め墓
   佐柳島にある2つの集落のうちの1つである長崎浦にある墓。両墓制といわれる死体を埋葬(土葬)し、黒い円礫を敷き詰め、その上に桐の地蔵さんという木製の人形を立てた埋め墓の「サキバカ」「マエバカ」と遺族が参る参り墓「ホンバカ」の2つを持ちます。

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5.盛土山古墳
  古墳時代中期に築造された円墳。墳丘は2段に構築され、2重の周濠を持っています。奥白方にある古墳の中で最大級の大きさ、そして県下の古墳のなかで一番低い標高にある古墳です。古墳時代中期頃の多度津を中心とした地域を収めた支配者の墓ではないかと考えられます。円筒埴輪や大型の勾玉などの玉類、銅鈴や鏡、太刀槍などを出土しています。

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6.高見八幡宮奉納模型和船
  幕府の御用船として北廻り航路に使われていた弁才船の1/10縮尺の模型です。現在は多度津町立資料館で展示しています。

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7.高見島龍王宮社叢
  高見島の山頂にある龍王宮を中心にした東西70m・南北60mの社叢。主な植物はシロダモ。他にはカゴノキ・ヒサカキ・イヌビワ・ヤブニッケイ等がみられます。社叢のなかには人工に石が積まれた謎のモニュメントのようなものもあります。

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■町指定
1.絹本著色法華経曼荼羅図

  南北朝時代の作とされ、法華会の本尊として用いられている曼荼羅図。法華経に説かれている諸仏や菩薩などを円形に配列した構図となっています。

 

2.絹本著色不動明王立像図
  室町時代の作とされる道隆寺の寺宝のひとつ。全身を赤く彩られた赤不動。

 

3.新続古今和歌集
  最後の勅撰和歌集。後花園天皇の命により永享十一年(1439年)に完成したものです。道隆寺に納められてものは翌年の永享十二年に写本されたものです。

 

4.絹本著色西谷藤兵衛夫人図
  県指定の西谷藤兵衛肖像と一対になっている婦人肖像。西谷藤兵衛肖像とあわせて戦国時代の小城主夫妻の肖像図が残存するものとして貴重なものです。

 

5.宿地古墳
  多度津山の南端部にある古墳時代後期の円墳。大型の天井石を持ち横穴式石室を主体部(埋葬施設)としています。昭和初期には土器の破片も採取されています。現在は墳丘上に宿地神社が鎮座しています。

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6.石地蔵
  佐柳島長崎浦墓地の薬師堂の中にあります。高さ1.5mの大きな地蔵で制作年代は室町時代と推定されています。海中から出現したという伝説を持っています。

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7.高見島埋め墓
 高見島の浜浦村落などに残る墓。両墓制によって死体を埋葬(土葬)する埋め墓「ハカ」・「ボチ」と墓参用の参り墓「セキトウバ」の二つの墓があります。佐柳島に2箇所ある埋め墓とあわせて、古い時代の葬法を知ることができる貴重な資料です。

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8.古銭
  昭和二十二年(1947年)に賀茂(加茂)神社本殿北側の老松の根元から出土した奈良・平安時代の銭貨です。内容は宋銭・漢の五銖銭・開元通宝・乾元重宝・唐国通宝など。

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9.高見島なもで踊り
  高見島で行われていた、「ナーモーデー」「ナッパイドウヤ」などという南無阿弥陀仏という念仏が変容した囃子言葉から名付けられた念仏踊の一種。香川県下にある念仏踊のように雨乞いを主とするものではなく、盆の13・14日に行い、帰ってくる先祖の霊を迎えるためのものや鹿島踊り(常陸国鹿島の神人たちが布教の目的を持って各地に流布した踊り)の要素を持った踊りではないかと考えられます。

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10.延命地蔵
  別名「貝殻地蔵」。もともとは堀江浦にあった砂州上にあった地蔵尊に安置されていたとされていますが、その後海中に没し、地元の漁師によって堀江の海中から引き上げられたとされている地蔵です。空海の作とも言われています。

 

11.金毘羅燈籠
  江戸時代後期に隆盛した金毘羅参りに人々が巡った多度津金毘羅街道沿いに設置された常夜灯。現在は本来の場所から移動して、町中に点在しており、その中のいくつかは桃陵公園内に移設されています。

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12.林求馬邸
  慶応三年(1867年)に建てられた多度津藩家老林求馬の邸宅。幕末期に藩主の避難場所として築かれたとされています。江戸時代後期の武家屋敷の様子を今に残す、貴重な建築物です。毎月1回公開日を設けています。

 

13.旧京極氏多度津藩家中屋敷
  文政八年(1825年)に多度津藩4代藩主高賢の時に、藩の直接経営のため現在の家中を中心にした地域に調練場・馬場・射場・御館・新館・鼓楼・学館(自明館)・堀・門・廊・外門等を設けて、多度津藩の陣屋として開かれていきました。多くがJR工場の敷地になっていますが一部が家中に残り、古い町並みを見ることができます。

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14.黒藤山古墳
  正確には黒藤山4号墳。白方の黒藤山に複数ある古墳のひとつで、全長約30mの古墳時代前期の前方後円墳。当時の白方地区を中心とした地域の支配者の墓ではないかと考えられます。

 

15.御産盥山古墳
  海岸寺奥の院の西端にある全長約40mの古墳時代前期の前方後円墳。円筒埴輪や朝顔形埴輪を出土している。同じく町指定の黒藤山古墳と並び、当時の白方地区を中心とした地域の支配者の墓ではないかと考えられます。

 

16.宝篋印塔
  宝篋印塔とは本来、「宝篋印陀羅尼経」という経典を安置する塔であったとされています。南鴨地区にあった法泉寺跡から出土しました。基底部に文安ニ年(1445年)の紀年銘が刻まれています。

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17.北前船関係古文書
  西廻り航路図、往来手形、買目録など、江戸時代後期に勝間屋として船問屋や鯛網の網元であった森家の文書です。

 

18.武田家古文書
  満濃池普請に関すること、多度津藩の酒株に関するもの、庄屋書き上げと明細書、伊能忠敬測量関係のものなどが含まれる武田家所蔵の文書です。

 

19.佐柳島八幡神社奉納「北前船」模型
  文政七年(1824年)に海路平安のために八幡神社に奉納された北前船の模型です。現在も八幡神社のなかに納められています。

 

20.木造薬師如来座像
  賀茂(加茂)神社の神宮寺であった法泉寺の本尊とされているものです。現在は神社内の新薬師堂に祀られています。平安時代末期の作とされています。寄木造。

 

21.木造釈迦如来座像
  法泉寺の釈迦堂に祀られていました。現在は賀茂(加茂)神社内の新薬師堂内に祀られています。

 

22.多度津京極藩「時太鼓」
  多度津藩家中の陣屋で用いられていた時刻を告げる太鼓です。明治時代初期まで町民に時刻を告げることに用いられていました。現在は桜川に隣接する須賀金毘羅宮の社殿内に安置されています。

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23.熊手八幡宮高麗犬
  白方地区の熊手八幡宮が改築された文明十三年(1481年)に奉納されたとされています。木造の高麗犬(狛犬)で彩色を施した顔が犬のように長く、古い形を残しているようです。現在は熊手八幡宮の門内に祀られています。

 

24.三井正八幡宮参道及び馬場先の伊予街道
  平安時代末期の延久五年(1073年)に道隆寺の裕善によって岩清水八幡から勧請された三井正八幡神社の参道。南海道の甕井駅が付近にあったとされ、後に多度津金毘羅街道のルートになり、伊予街道とこの馬場先で交わりました。

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25.冨井家文書
  多度津藩裏判方を勤めた冨井泰蔵が記した「泰蔵覚帳」や砲術・兵術・測量・満濃池関係の文書があります。

 

26.古石塔
  西白方にある仏母院にある石塔。元々は近くの熊手八幡宮にあり、神仏分離令により、別当寺である仏母院に移設されました。鎌倉時代末期に造られたとされており、石塔両側面に「施入八幡嘉暦元丙寅萼行」という記年がされています。

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27.高見島五輪塔
  高見島の高見浜にある五輪塔。室町時代に建立されたものだそうです。

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28.高見島宮崎家古文書
  高見島庄屋宮崎平四郎の庄屋文書です。

 

29.笠屋天満神社子供馬
  庄地区の氏神である天神さんの秋祭りの中で行われる踊りで、古代に讃岐国の国司であった菅原道真が巡見しに笠屋の地に訪れたときに里人が馬を作ってお迎えしたという伝説から、木枠に紙で作った馬の中に入った子供たちが踊りながら行列をくみます。

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30.木谷家史料及び付属書籍
  旧葛原村の大庄屋であった木谷家の村政の記録や覚帳、年貢や田畑、講銀、教育に関しての文書帳簿類です。

 

31.多度津金毘羅鳥居
  元々は鶴橋にあった多度津金毘羅街道「一の鳥居」。寛政六年(1794年)に雲州松江(現在の島根県松江市)の金毘羅講中の寄進によって建てられました。現在は桃陵公園内に移設されています。寄進者の中には当時の大関である雷電為右衛門の名前もあります。

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32.松本直之の墓碑
  享和二年(1802年)に多度津に私塾を開いた人物の墓碑。

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33.森長見一族の墓及び森長見の墓碑
  「国学忘れ貝」を著作した多度津藩小物成奉行を務めた人物とその一族の墓。道隆寺境内にあります。

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34.自明館の扁額
  多度津藩の藩校「自明館」に掲げられた扁額です。

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35.乳神
  石造りの小祠で祠の中の神像が乳房の形に見えるため乳神と呼ばれています。一年の水の豊かさと豊年を祈るために田の神と水の神の祭場である水口に設置されたものです。

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36.奉納題発句集扁額
  三井正八幡宮に文政五年(1822年)に奉納された扁額。52句の俳句が記されています。江戸時代後期初頭の化政文化の隆盛した時期のもので、52句のなかには三井郷の俳人が13人名を連ねており、文化的な行為が地方にも広まってきていることを示した貴重なものと考えられます。

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37.地芝居背景
  明治四十年頃まで南鴨地区の賀茂(加茂)神社の南隣にあった、回り舞台付きの芝居小屋で村芝居が行われていました。地芝居背景はそこで使われていた大道具のひとつで、金粉など極彩色で描かれた襖仕立ての舞台背景です。

 

38.蔵の本地蔵
  南鴨地区が荘園だった時代(中世以降)に境界部分に設置された4つの地蔵のうちのひとつです。

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39.向井原古墳
  奥白方の天霧山の北端部にある古墳時代後期の円墳。一墳ニ石室という特殊なものでしたが現在は石室一つを残すのみとなっています。

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40.石造 六地蔵
  六地蔵とは仏教上の六道において衆生の苦現を救うという、六種の地蔵菩薩像のことを指します。江戸時代中期頃から墓地の中に設置されるようになりました。多度津町の石造六地蔵は庄の買地池に放置されていたものを個人が取り上げ、以来保存されていたものを個人の死去後に町に寄付されたものです。もともとは町南部の墓地にあったものとされています。

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41.多度津藩藩札版木及び刷台三組
  多度津藩が享保十七年(1732年)に藩札の発行許可を受けて、翌年に発行した際に使用した版木と刷台です。当時の大坂で製作されたものです。

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42.寛政八年塩飽佐柳島屋敷地面図
  佐柳島の吉田家が所有していた地面図。大坂奉行所の塩飽島管理のために作成されたものとされています。

 

43.向山1号古墳出土銀象嵌入鉄刀
  古墳時代後期の向山古墳から出土した鉄刀。鍔と刀身に象嵌(鉄に金銀をはめ込んで意匠を施したもの)を施した非常に希少な鉄刀です。

 

44.ヤットセー踊り及びヤットセー音頭
  白方地区で近世頃から行われている雨乞いや豊作を祈願して行った盆踊りや村の鎮守の杜で唄い踊ったものです。特徴は踊りと「クドキ(唄)」でクドキは日常の出来事をユーモラスに歌いこみ、踊りは全身を使ってリズミカルに踊り、両者の調和が取れた伝統豊かなものです。

 

■登録有形文化財
1.山本医院

  大正15年に建てられた木造2階建てモルタル塗りの洋風医院建築。

 

2.富井家住宅(主屋,新座敷,土蔵,門)
  家中に残る多度津藩陣屋の武家屋敷。文政十一年(1828年)以降の江戸時代末期にかけて建てられた。当時の武士の住宅の形式及び外観を伝えています。

 

3.JR多度津駅(構内転車台 構内給水塔1・2)
  JR多度津駅内にある戦後の昭和二十五年に作られた転車台と昭和二十六年に作られた給水塔。二つある給水塔のひとつは大正2年に作られ昭和二十五年に改修されたもので近代化する当時の様子を残したものとたっています。

 

4.JR多度津工場(職場15号・職場17号・34号,諸舎1号,会食所1号,倉庫4号・7号)
  JR多度津工場内にある建物7棟が対象となっています。昭和初期に建てられたものや移築されたものが多く、会食所1号はもともと戦時中の航空機の工場だったものが移築されたものです。職場15号はもともと明治二十一年に建てられたもので、近代化初期の様子を残しています。

 

 

文化財の説明文の一部は「多度津町誌-資料編-」から引用しています。


 


 

 


問い合わせ

教育課
電話番号:0877-33-0700
メールはkyouiku@town.tadotsu.lg.jpまで

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